【連載エッセイ】夫は仕事ができません!【Vol.014『おいたんを構成するモノ①生い立ち』】

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 おいたんは、いわゆる虐待を受けて育った子供でした。

 無雲がそれを知ったのは、お付き合いをしてちょっとした頃でしょうか。

「うちの両親はさ、何かっていうと俺をボコボコに殴ってきたんだよな」

 おいたんもその当時無雲と同じ精神科病院に通っていて、元は無雲とは違う先生に診てもらっていましたが、無雲が主治医を変えてから凄く元気になったのを見て、おいたんも無雲と同じM先生に診てもらうようになっていました。当初のおいたんの診断名は『うつ病』でした。

 それで、無雲とおいたんはお付き合いをしていた当時から一緒に診察室に入っていたのですが、その診察の際に、M先生に問いました。

「おいたんは子供の頃両親から殴られてたって言うけど、それってうつ病と関係あるの?」

 M先生は目の色を変えました。そして、言いました。

「それは虐待だ。立派な虐待だよ。おいたんさんの症状の根底にあったもの、それはPTSDだ」

 この時から、おいたんのPTSDの治療が始まりました。

「あんたね、PTSDを40年以上やってるんだ。そうそうすぐには回復しないからね」

 そう、言い放たれました。

 M先生は、無雲だけが診察に行った時教えてくれました。

「PTSDは、その原因を自分ではっきりと自覚できるようになったら回復って事なんだ。おいたんさんはまだ自分の身に起きていた事に何の問題があるのか理解してないね。根が深い。時間が掛かるよ」

 結婚してから、おいたんの母子手帳を見る機会があったのですが、無雲はそれを見て愕然としました。

 お義母さんの妊婦としての初診は妊娠7カ月の時。そして8カ月目にはおいたんは生まれてしまっていました。出生時の体重は1250グラムという小ささでした。50年以上前の医療技術で、よくぞ生きて成長出来たな、と思いました。

 お義母さんは、妊娠7ヵ月目まで何をしていたのでしょうか? 妊娠に気付かなかったのでしょうか? まさか? でも、それにしたって、あまりにも初診が遅くないですか?

 そして、その母子手帳にはお義母さんの直筆のものは何も無かった。

 何も書かれていない母子手帳。

 そこに、おいたんと親の間にある深い深い溝を見ました。

 おいたんは、小さい頃からお勉強が苦手な子だったらしいです。そんなおいたんに対し、親であるお義母さんは、おいたんの太ももに鉛筆を刺した事もあるらしいです。

 そして、父親は、稼いできても家にはお金を入れない。遊んでばかり。おいたんには罵声を浴びせかけ、妻であるお義母さんにも暴言を吐く、そんな人。

「そのガキ連れてとっとと出ていけ!!」

 そんな事をよく言われていたそうです。

 それでもおいたんは、私立の男子高校を卒業させてもらえました。入れるレベルの近所の公立高校が、あまりにも風紀が乱れていて、ヤンキー校で有名だったので、かなり遠くの隣県の私立の男子高校に入学したそうです。

 その学費などは、お義母さんが働いて出したものでした。お義母さんはお義母さんで苦労したのだと思います。生活費を入れない夫。遊んでばかりで家に寄り付かない夫。

 そんな夫なら別れてしまえば良かったのに、お義母さんにはその勇気が無かった。一歩が踏み出せなかった。

 おいたんが20代後半の時に、父親はガンで他界したのですが、おいたんは少しホッとしたそうです。と、同時に、墓を建てる気も起きず、今も父親の遺骨は納骨堂に収められたままです。

 次回は、『おいたんを構成するモノ②精神障害と発達障害』です。

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