(大変申し訳ございません。こちらのエッセイは月・水・金更新なのに、昨日が木曜日だと勘違いして更新し忘れました! なので本日は土曜日ですが更新させて頂きます!! まことにすみませんでした!!)
おいたんが障害者施設を解雇になったのは2021年10月末の事でした。そこからおいたんは就職活動をしますが、無雲や同居する無雲の両親から見たらおいたんはのんびり構えているように見えました。父は、そんなおいたんに苛立ちを隠しませんでした。
無雲も、イライラしていました。自分の作業に集中出来ないからです。おいたんにうろちょろされると、仕事がはかどらない。しかも、貯金もどんどん減っていく。そして気付いた。
「こいつ、今年の始めも終わりも無職じゃないか」
毎日溜息ばかり出ます。そして、無雲には希死念慮が出てきました。もう、死にたかった。こんなに辛い人生なら、いっそ死んでしまいたかった。ありとあらゆる精神症状が悪くなってきていました。主治医のM先生は、無雲に対する集中治療を始めました。
無雲は、『ゼプリオン』という持効性注射を打ってメンタルの調子を保っています。それは、どんどん容量を増やされました。希死念慮が強かったので、『カリフォルニア・ロケット療法』も施されました。それは、令和4年3月現在も続いています。
無雲のメンタルは、ずたぼろでした。おいたんが起こした一連の問題で、メンタルは崩壊寸前でした。それをぎりぎりで食い止めていたのは、母の存在でした。母は、昔も今も、いつでも無雲を守ってくれていました。
おいたんと結婚した当初は、無雲とおいたんはアパートを借りて二人で暮らしていました。しかし、おいたんが産廃業者をクビになり、職業訓練に通ってそれが終わる頃、ちょっとしたトラブルや金銭の問題が重なって、無雲の実家に身を寄せさせてもらう事にしたのです。
母は、いつでも無雲の味方でした。なので、余計無雲を苦しめる事ばかりするおいたんが許せなかったようです。しかし、おいたんは思いやりがあってとても優しい人なのです。その愛情は、常に無雲を包み込んでくれていました。その点は、母もおいたんを評価していました。
「これで稼ぐ能力さえあったらねぇ……」
そう溜息をつく母。母の伴侶である父は、母に金銭の苦労を掛けた事は一度も無い『稼げる人』でした。しかし、思いやりというものには欠けている人でした。団塊世代にありがちな、『稼いでくればいいんだろ』と言って家庭をあまり顧みない人間だった。
「完璧な人間なんて居ないって事よね」
無雲と母はそんな話をよくするようになりました。
おいたんが無職のまま迎えた年末は憂鬱でした。しかし、その朗報は突然やって来ました。
年末ぎりぎりに、高齢者対象の『グループホーム』に契約社員として就職が決まったのです。
おいたんは涙ぐんでいました。きっとこの無職期間はおいたんにとっても針のむしろだったのでしょう。無雲も泣いて喜びました。
「今度こそ長く続けてね」
無雲と母はそうおいたんに懇願しました。おいたんも了解してくれました。
次回は、そのグループホームに翻弄されるお話です!
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